ぶらり東京まち歩き Tokyo Photo Essay

護国寺案内 1

6976

護国寺本堂国の重要文化財

今回は東京都文京区大塚五丁目にある護国寺をご紹介します。護国寺は、真言宗豊山(ぶざん)派のお寺です。

6899

2 仁王門文京区指定有形文化財

6914

3 仁王門と宗務所(包括宗教法人本部)

6216

4 仁王門

護国寺仁王門

文京区指定有形文化財

八脚門(やつあしもん)、切妻造りで丹塗。元禄期造営の本堂、薬師堂や大師堂などから成る徳川将軍の祈願寺としての伽藍(がらん)の中で、重要な表門である。建立の年代については、元禄10年(1697)造営の観音堂(現本堂)などよりやや時代が下がると考えられる。
正面(南側)の両脇に金剛力士像(右側阿形像あぎょう・左側吽形像うんぎょう)、背面(北側)の両脇には、二天像(右側増長天・左側広目天)の仏法を守る仏像が安置されている。

  • 護国寺の山門の朱(あか)の丸柱
  • 強きものこそ美しくあれ(窪田空穂 うつぼ)

東京都文京区教育委員会 平成2年3月

本来であればここで金剛力士像、二天像の写真を掲載したいところです。しかし何処の寺社でも見られるように鳥よけの金網が張られていて、写真撮影の意欲を失わせます。取材したところ、文化財を損傷するのを避けるため像の掃除はまったく行っていないとのことでした。

6654

5 境内案内図

この写真は数回日時を変えて撮り直していますが、空の写り込みを避けることは出来ませんでした。偏光フィルターを使いましたがこの程度です。見づらいと思いますがご容赦ください。建物配置図を別途用意しました。

護国寺の建物と参道は、実際にはこの案内図のような一直線の配置ではありません。不忍通り(注)から仁王門までのわずか 25m ほどの間は明らかに進入角度が異なります(写真#4)。不思議なのは仁王門と不老門、そして本堂が同じ軸線上にないことです。この原因は本堂が仁王門の方向を向いていないことにあります。参道にレンズの光軸を合わせると本堂の正面がずれることからの結論です。写真#4と次の写真#6は本堂が正面になるように撮っています。その結果、写真#4は仁王門を斜めから撮ることになり、どこかゆがみのある写真になってしまいました。これは私の推測ですが護国寺の本堂は江戸城の方向を向いているのではないかと思います。
文京区は坂が多いことで知られています。道は歴史的には地形に基づいて形成されますので、文京区の道は複雑です。護国寺は江戸時代に丘陵の地形を利用して建てられましたのでこのようなことになってしまったのでしょうが、歩いたときのことを思い起こすと一直線であることから来る緊張から人々を開放してくれていると考えるにいたりました。

注 : 不忍通り(しのばずどおり) 台東区上野から都心を大回りに護国寺前までを弧状に結んでいる道路。名の由来は起点付近の不忍池(しのばずのいけ)にちなむ。

7143

6 水屋と不老門

6234

7 不老門

6238

8 不老門

中門 (不老門)

昭和13年(1938年)4月建立。様式は京都の鞍馬寺の門を基本に設計され、仁王門と本堂の中間に建立された。額面「不老」の二字は徳川家達(いえさと)公の筆によるものです。(パンフレットより抜粋)

6007

9 不老門(裏)

6269

10 本堂

観音堂 (本堂)

重要文化財

護国寺の創建は、天和元年(1681)2月。五代将軍徳川綱吉公が、その生母、桂昌院の発願により、上野国(群馬県)碓氷八幡宮の別当、大聖護国寺の亮堅僧正を招き開山とし、幕府所属の高田薬園の地を賜り、堂宇を建立し、桂昌院念持仏の天然琥珀如意観世音菩薩像を本尊として、号を神齢山(じんれいざん)悉地院(しっちいん)護国寺と称し、寺領三百石を賜ったことに始まる。(昭和25年国指定重要文化財)
現在の観音堂(本堂)は、元禄10年(1697年)正月、観音堂新営の幕命があり、約半年余りの工事日数でこの大造営を完成し、同年8月落慶供養の式典が挙げられた。また元禄時代の建築工芸の粋を結集した大建造物で、その雄大さは都内随一のものと賞され、しかも震災・戦災と二度の大災害にも襲われながら姿も変えず、江戸の面影を今に伝え、訪れる人々に安らぎの場として親しまれている。(パンフレット)

hondo
honzon

11 12

護国寺のご本尊は如意輪観世音菩薩像

真言宗のご本尊は、普門総徳の大日如来ですが、護国寺のご本尊は、その別徳の如意輪観世音菩薩です。いつの時代の人々にも親しまれてきました。母にも似た感情を感じさせる慈悲深い観音さまで、特に繁栄を祈る守護本尊のひとつとして古くから信仰されている。 (パンフレット)

本堂内は撮影禁止です。本堂正面の戸が閉まっていても賽銭箱の後ろのガラス窓(写真#10参照)を通してご本尊を拝することが出来ます。人は見えていないものに対して祈ることはしても、なかなか賽銭は投げないようです。護国寺のパンフレットは大変質が高く、複写でも良好な画像が得られましたが、見栄えが考慮されたビビッドな画像でした。掲載したものはやや彩度を落とし、拡大しています。


護国寺

概要

天和元年(1681年)二月七日、徳川綱吉は母、桂昌院の願いをうけ、高崎の大聖護国寺住持であった亮賢に高田薬園の地を与え、桂昌院の祈願寺護国寺の建立を命じた。本尊は桂昌院念持仏の琥珀如意輪観音 (絶対秘仏)。本堂(観音堂)本尊は堀田正虎の母・栄隆院尼寄附の如意輪観世音菩薩。
江戸三十三箇所観音霊場の第13番札所である。護国寺に隣接し、護国寺と一体のものとして存在した「護持院」(筑波山大御堂の別院)は、新義真言宗僧録であり、新義真言宗で最も格式の高い寺院であった。護持院は明治時代に護国寺に合併。

護国寺
所在地 東京都文京区大塚五丁目40番1号
北緯35度43分18.3秒 東経139度43分32.3秒
神齢山(じんれいざん)
真言宗豊山派
大本山
如意輪観世音菩薩
創建年 天和元年(1681年)
桂昌院亮賢(開山)
正式名 神齢山 悉地院(しっちいん) 大聖護國寺
札所等 御府内八十八箇所 87番
江戸三十三箇所 13番
東国花の寺百ヶ寺 東京3番

重要文化財

  • 本堂 元禄10年(1697年)建立
  • 月光殿(滋賀の園城寺(三井寺)から移築された日光院客殿、桃山時代)
  • 絹本著色尊勝曼荼羅図
  • 金銅五鈷鈴
  • 絹本墨画漁夫図 張路筆(中国・明時代)
  • 綸子地梅樹竹模様染繍振袖
  • 諸寺縁起集
  • 騎竜観音 原田直次郎筆(東京国立近代美術館に寄託,2007年度指定)

墓所

パンフレット (縮小されています)

アクセス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア』より抜粋



1 本堂  仁王門  不老門

2 惣門  月光殿  薬師堂  太子堂  本堂

3 水屋  茶室  灯籠  鐘楼堂

4 音羽富士  珪化木  動揺碑

5 地蔵  大仏  庚申塔  墓所

6 猫天国  豊島岡墓地

Leave a comment