ぶらり東京まち歩き Tokyo Photo Essay

Posts tagged “architecture

Ōji shrine – 王子神社

6942
6931
6945
6937
6938
6982

pattern


Cats 護国寺案内 6 猫天国

7120

 

7111

2

7124

3

猫にとって護国寺ほど住み心地の良い環境はないでしょう。ここでは誰も猫をいじめる人はいません。餌を与える人もいます。その人は猫のいる場所を知っているのでそこへ行って餌をあげています。従って他の猫との縄張り争いもないというわけです。子猫は猫の方から近寄ってくるので驚きます。耳を見ると三角形に切込みが入っています。これは避妊・去勢が行われている印です。護国寺もお寺が猫だらけになると困るからでしょう。仕方のない処置だと思います。それでも数が減らないのは、全員集合に応じない猫がいることと、飼い猫を捨てに来る人がいるからだとか。これは困ったことです。
ここには人なつこい猫が多くいます。なかには声をかけると返事をする猫がいます。こちらからかけた言葉に対応して鳴くのです。そのような猫をかわいく思うのは当然です。ただし、フォトジェニックであるかの保証はいたしかねます。写真の猫は単独行動している猫です。垣根の下で休んでいますが、お尻は丸見えです(写真2)。自分でもそれを知っていて尻尾を振って人の気を引いてきます。写真を撮らせていただきました。


豊島岡墓地

護国寺に隣接して皇族専用(天皇・皇后を除く)の豊島岡(としまがおか)墓地があります。

6179

豊島岡墓地は、元々は護国寺の所有地でしたが、明治政府により召し上げられ、明治6年(1873)に使用が開始されました。宮内庁により管理され、皇族の葬儀や祭事に際して記帳を受け付ける場合などを除き、一般人が敷地内に立ち入ることはできません。
出典 : ウィキペディア。 地図 ウィキマピア(サテライトビュー)参照

 
6195

2

6184

3

6185

4

6189

5

6167

6



1 本堂  仁王門  不老門

2 惣門  月光殿  薬師堂  太子堂  本堂

3 水屋  茶室  灯籠  鐘楼堂

4 音羽富士  珪化木  動揺碑

5 地蔵  大仏  庚申塔  墓所

6 猫天国  豊島岡墓地


護国寺案内 5 墓所

7089

本坊(事務所)の前

6345

2 本坊の脇に建つ古い門

7196

3 地蔵

6337

地蔵 4

6272

5 大仏

6333

石燈籠 6

お地蔵様には一般的に見られる赤いのぼりは立っていません。碑もないので謂(いわれ)が分かりませんが、いつも花が供えられ掃除が行き届いています。護国寺の大仏様はたいへん小さな大仏です(2.5 m)。ウィキペディアによると、大仏と呼べる大きさの明確な基準は特にないとのこと。

6943

7 庚申塔

音羽講中(おとわこうちゅう)庚申塔 一基

大塚5-10-1 文京区指定有形民族文化財

この庚申塔は、全国にもその例を見ない形式で、当時の民族や習俗を知る貴重な資料である。塔は規模も大きく(総高210cm)基壇部分、台座、塔部から形作られている。塔部は台座上の三猿によって空中で支えられ、天明5年(1785)の銘がある。
台座は須弥壇(しゅみだん)形式(仏像をのせる台)で、その四面に肉彫り装飾、返花(かえりばな)紋様が施され、その彫りは精巧かつ華麗である。基壇部分には、門前の音羽通りの人々76人の名が刻まれている。当時お互いに力を合わせ、金銭を出し合う共同社会の成立や信仰心の深さなどを知る上で、貴重な資料である。
庚申信仰は、庚申(かのえさる)の夜(60日毎)講の当番の家で、般若心経(はんにゃしんきょう)を唱え、なごやかに夜を過ごす風習があった。寝ると体内の三尸(さんし)の虫が抜け出て、天帝にその人の罪を告げ、早死にさせるといわれていた。

文京区教育委員会 平成11年3月

庚申塔は薬師堂の裏手にあります。地図でこの場所を確認すると、写真の背景に見えているのは文京区立青柳小学校(青柳幼稚園併設)であることが分かりました。この小学校は三方向を護国寺とその墓地に囲まれているのです。これは全国的にもまれな状況だと思います。都と区の教育委員会は何を考えているのでしょう。それとも地元は護国寺のいわゆる門前町であって、問題でも何でもないのでしょうか。この庚申塔は境内のはずれにありますが、護国寺を訪れる機会がありましたら是非ご覧になられたらいかがでしょう。

6279

8 安田家の墓所 墓地略図(1番)

安田家の墓所は鐘楼堂の北側にあります。鐘楼堂の裏にあたるため墓地を見ない人には知られません。周囲を格式の高い塀(写真の背景部)で囲まれていますのですぐ分かります。

6731

9 大隈重信の墓所 墓地略図(5番)

本堂の北側(本堂に向かって右側)にあり、護国寺では一番立地の良い場所にあると思います。この墓所の前にも鳥居があり人目を引きます。入り口すぐ左に早稲田大学の文字を見ることができるので間違いようがありません。写真では手前の灯籠に憲政会(大正時代の政党)の文字が見えます。

6917

10 三条実美の墓所 墓地略図(7番)

三條實美(さねとみ)

東京都指定旧跡

所在地 文京区大塚五の四〇の一護国寺墓地内

識 昭和一五年二月
定 昭和三〇年三月二八日

三條實美(一八三七-九一)は幕末・明治前期の公卿政治家です。贈右大臣三條實萬の第四子として生まれ、安政元年(一八五四)に家督を継ぎます。父の影響もあり尊王攘夷派公卿として活躍します。文久三年(一八六三)八月一八日の政変により京都を追われ、一時長州へ下ります(七卿落ち)。第一次長州征伐後の慶応元年(一八六五)に大宰府に移り、同三年(一八六七)の王政復古により京に戻ります。明治政府の副総裁などの要職に就き、明治四年(一八七一)から廃止されるまでの明治一八年(一八八五)まで太政大臣に任じられます。明治二四年(一八九一)五五歳で病死します。

東京都教育委員会平成二四年三月建設



1 本堂  仁王門  不老門

2 惣門  月光殿  薬師堂  太子堂  本堂

3 水屋  茶室  灯籠  鐘楼堂

4 音羽富士  珪化木  動揺碑

5 地蔵  大仏  庚申塔  墓所

6 猫天国  豊島岡墓地